格差について

投稿日:2024/12/11

カリフォルニアの高校に通っていたときに英語での名前は忘れましたが、「進路指導」や「キャリアプラン」みたいなカリキュラムがありました。

先生は確か高校卒業後、魚市場で働いてたらしく、それが自分の一生のキャリアに出来ないと思い、大学進学を思い立ったと言っていました。(先生は手につく魚の匂いのことに言及していましたが、ここは国民性の違いでしょうね。筆者はあまり気になりませんが、英語では臭い息もFishy breathと言ったりします)

 

そこで課題が出ました。

自分の知っている大人にインタビューしてこいと。テーマはその人のキャリア形成について(もしくは人生について)。

親・親戚でも良いし、誰でも良い。

 

クラスで発表がありました。

ある白人の女の子の父親は弁護士でした。筆者の父親は技術者と紹介しました。

ところが、その他のクラス大半は、親にインタビューして来ませんでした。(少なくとも上記2例以外、筆者は覚えていない)

インタビューして来たのは近所のホセだとか言うオッサンで、彼は5歳のときから道端に出てチューインガム売ってました、みたいな発表が続くのです。

「5歳のときから道端に出てチューインガム」は、一人だけじゃなかったような気がします。

メキシコ移民が多い地域の学校でしたので、そのような人生はあり得ると言えばあり得るのですが、それでも強く印象に残っています。

もっと印象に残っていたのは、ネタなのかクラス中をからかったのか知らないけど「5歳のときから道端に出てチューインガム」みたいなエピソードが続いたことです。

父親が技術者であるということが至って普通のことだと思っていた若き筆者にとって格差を感じた日でした。

 

筆者の職場にある年配の方がいます。

駐在経験者で、お子様も現地で学校行っております。

お子様が現地で過ごした年齢も日本に帰って来た年齢も筆者に非常に近いです。

帰任する際に有名私学(進学校)から受け入れの打診があったそうです。

ところが、それを断り地元の公立校に入れました。

その人が言います。

「海外の駐在員家庭に囲まれて育ち、親が企業に勤め比較的所得水準も高く、両親が必ず揃っているという状況に慣れてしまっている。ここで有名私学なんて行ってしまっては本人が勘違いする。世の中には、片親のコもおれば家が自営業のコもおる。そういうコらと学校行くべきや。」

 

駐在員の息子でかつ自身も駐在員だった筆者はこのことについてはよく分かります。

その人とは筆者は反りが合わず、基本的に意見を異にしています。

しかし、このことについては考えは同じです。