フィジー留学(教育現場に飛び込む)

投稿日:2024/9/16

 

当校の生徒さんがフィジーに短期留学しました。

ご本人の能力と行動力と意思の力で、当初の目的である「教育現場をこの目で見る!」という目的が達成できました。

行かれた語学学校とはまったく別でです。

 

ここに軌跡を記します。

 

元々、特別支援教育(Special education)に携わっておられて、いつかは海外の現場をこの目で見てみたいという思いがありました。

 

英検も受けられ合格され、着実に計画を進められていました。

フィジーに留学先を決めて、職場からも休暇を得て、準備に入りました。

筆者も、駐在中はフィジーは担当先でしたので、現地情報を含めてできる限りサポートに努めました。

 

大きなポイントは、ただの語学学校留学にしないことでした。

現地でしか得られない、キャリアにつながる経験をすることは非常に重要なことです。

 

特に特別支援教育の幼児教育の現場にいることから、現地で同等機関でインターンしたいというのが希望でした。

ですので、フィジーも、その留学先の街の特別支援教育の機関を中心に調べました。

関係ある場所、ない場所、近い場所、遠い場所を探していって、送付先をある程度しぼりました。

 

英文履歴書とカバーレターも一緒に作りました。

これらは日本の履歴書の形式と違います。

筆者は、英文履歴書(とカバーレター)を審査する採用側にも、作成して送る応募側にも、両方の経験があります。

 

留学前にそれら候補に送りましたが、返事はなかったそうです。

これも想定内です。まあ、メール1本で思った返事が来るようなそんな簡単にことが運ぶわけがありません。

現地に行って飛び込むことになりました。わざわざ日本から来て訪ねてくれば無下にされないことは分かっていたからです。(筆者もフィジー中心に南太平洋諸国で飛び込みやりましたが、だいたい会ってくれた経験があります)

 

語学学校の近くに小学校があったそうです。

そこで、語学学校が午後に終わり次第、毎日歩いて行き、その小学校のドアをノックして現場みせて欲しいと訴えたそうです。

初日、NO。

次の日、NO。

その次の日も、、、

 

最後は、その英文履歴書とカバーレターしめして、日本に帰らなければならない日を強調して、ようやく翌日の10時に来るように言われたそうです。

 

筆者は生徒さんには、語学学校以外の経験! 語学学校の生徒だけと一緒にいるようなことはするな! 現地コミュニティに入れ! とか偉そうに言いますが、正直に自分で同じことできたかなと思います。

やっぱり行けなかったです、と帰って来たときに言われても仕方ないと思っていました。

 

本当に、事前のコネなしで、現地で誰かに橋渡ししてもらったわけでもなく、何度断られても諦めず、目的を達成できたことは素晴らしいの一言につきます。

 

Knock and the door will be opened to you

門を叩け、さらば開かれん。

 

聖書の有名な文言は本当だったと本人は言っておりましたが、いやいや筆者はそれは、当人の能力と行動力と意思の力だと思います。